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どうして、ゼルさんはそんなにプロ野球のことが好きなの?って聞かれたことがあったような気がしたことを、ふと思い出したんで、思い出せる限りで書いておこう。
僕は早生まれで周りの子にくらべたほやっつとしてたので、記憶があいまいな部分もあるし、年がたつにつれて都合がいいように置き換わったものがあるかもしれないけど、まぁ正確かどうかは目をつぶろうと思う。誰の人生にも影響しないことなんだから。
〇小さい頃は埼玉県の入間市で過ごしてたんだ。
生まれも育ちも今住んでいる福岡県の地方都市なんですけどね、子供の頃に、親の仕事の都合で7年だか埼玉県入間市に住んでたのですね。埼玉県民のユートピア・池袋へ電車で40分だかの地方民から見たら便利なセミ都会エリアって思うじゃん??実際のとこは、言うほど都会でも無くて、川に大根流れてたし、近所の豚小屋はくっさいし、電車に乗って隣町までいかないと歯医者ないしって感じで、地方の都市部のほうがまぁ栄えてるところです。娯楽は少なかったように思います。(当時の話だよ!今は文明開化の音がしてるはず!disってるもんか!
んで僕の子供の頃ってちょうど西武ライオンズの黄金期なわけで当たり前のように勝つわ、スター選手は多いわで、まぁ今のホークスのような感じだったんですよ。そんなチームが電車ですいーて行ける距離にあるわけです。ほかに娯楽もないので、話題はライオンズが中心となります。
〇プロ選手は運動できない子たちのあこがれの的!
僕自身は、3月下旬が誕生日、超早生まれな分、ほかの子供たちに比べて背が小さく運動音痴だったわけです。下手したら丸丸1年年上のお兄ちゃんたちと競わないかんからなー。かけっこでびりじゃなかったことってあったのかな?いやー。えぐいえぐい。
そんな運動できない子が、一流アスリートであるライオンズ選手を見てあこがれないわけがないのです。
ライオンズの選手の中でも、ぼくはHR打った時にホームベースでバック宙を決める秋山選手の大ファンでした。
かっこいいだろー。
運動音痴で、バック宙はおろか、鉄棒の逆上がりもなんか怪しいレベルだったからな。。。小さい頃は。。。
〇数少ない親父殿ふれあいタイムだった!
父親が子供との接し方がへったクソであんまり遊んでもらえなかったんですけど、趣味が草野球でして、たまーに球場に連れて行ってもらえてたことも、プロ野球が好きになった原因かもしれません。遊園地に連れて行ってもらう約束をしていたのに、早朝の草野球でビールを飲んでそのまま飲みに行って約束を平気ですっぽかすこともざらにあった親父ですけど(昔の人ってホント豪快よね)、球場に連れて行ってもらってたりもするんで、趣味の草野球まで憎んだことはない、はず。たぶんね。
野球中継が始まると親父にTVの主導権は握られてたけど、野球に恨みがないはず。たぶんね。あれ?
〇会いに行けるスーパーヒーロー達だった!
テレビだと放送されにくいところだと、ライオンズは試合に勝った後だと、最後選手とハイタッチをできるチャンスがあったのですよ。
内野指定席じゃないと確かハイタッチできなかったと思うので、僕はハイタッチした回数は1回くらいだったかと思います。外野自由席の方が安いからね。お察し。
と一言でいうと、当時の僕には身近に感じられるスーパーヒーロー達だったのですよ。
どっかのご当地アイドルみたいですね。
あと子供の頃にあこがれたのって宇宙刑事くらいだからなー。強い奴ほど笑顔は優しい。やっべとしがばれちゃう!今更!
〇転勤して地元に帰った!
親の転勤で埼玉を離れ、生まれた福岡県の地方都市に戻ってきて1,2年ほどでライオンズの黄金期は終わり、スーパーヒーローたちはほかの球団へと去っていき、守りは強いけど打てないホワイトにゃんこ打線と揶揄されたりと、小さなころの常勝軍だといわれたライオンズからは少しずつ形は変わっていったんですよ。
球団だけでなく、僕の環境も変わったわけで、周りの友達は地元のホークスファンばっか。中学は若干あれている地区だったということもあり、なんとなく察してライオンズファンだと公言せず、隠れキリシタンのように一人でペナントレースを楽しんでた気がします。
高校は、まぁ理解ある友達に恵まれたこともあり、ライオンズファンだと思いっきり公言してましたね。この時期には僕の応援スタイルは、他の球団の悪口は言わない、いいところはほかの球団の人たちと一緒に褒めあうって今とほぼ一緒のスタイルが確立していたかかもしれませんね。地元なんだからホークスへと改宗せよと勧誘活動をうけてましたがw
〇中学時代にライオンズ愛を貫けたのがほんと謎!
私もかつては、他の子たちと同様にプロ野球選手にあこがれてなりたいなーって思ってた時期があったのですよ。一応野球部には入ってました。ました。
んが当時蓄膿症でしてね、週2,3回学校帰りに耳鼻科行かないといけないし、練習に参加できる量がほかの子たちと比べて、少ないわけです。中学はいる頃には成長期を迎えて背はほかのこと達とそん色ないくらいには伸びたのですが、まぁ小さい頃に運動音痴だと思ってた子ですもん、安心してください運動音痴なままです。
下手くそは人一倍練習しないと他の子に追いつけませんが、何しろ病院通いの分練習量が少ない、追いつけるわけがない。当時の運動部って超体育会系なんで、練習に参加できないで肩身が狭い、結果1年の夏休みが終わってすぐに限界を迎えてやめちゃいました。ぐうの音も出ない挫折ですね。まぁ今考えると休みづらい運動部に入ることが無謀な話だった気もしますが、まぁ早い時期に人間無理なもんは無理と悟ったのは大きかったかなーって思います。
ん?あれ?よく中学の時にライオンズ愛を投げださなかったなーって、自分でも不思議でなりません。中学の頃は、ライオンズ愛は控えめで、高校で理解ある友人に出会えて再燃したのかもしれませんね。実際のところはよくわからない。。。
どんなに好きなことでもモチベーションの波があるのは当たり前かなって思うんで、中学の頃はライオンズ愛が控えめだったってのが合ってそうな気はしますね。
〇つまり、、、
自分のことを全部理解してるわけないよねー。ですよねー。まぁ今も昔も変わったり変わらなかったりして楽しいんでるからいいか!