観点のロンダリング

TLを見てて自分と他人との認識の差異に悩んでる人を見かけたのでちょっと書いておく。

 

以前から希望を出してた地元への転勤が叶い、実家へ戻った頃、母親は昼の弁当を持たせてくれた。いいよ。途中で買ってくからと告げたものの大した手間じゃない。それくらい作ると言ってくれたので、好意を無碍にするのも親不孝だと思い、素直に受け入れることにした。朝起きる時間が少し早くなるのだから、それくらいではないはずだけど。ありがたい事だ。

 

新しい職場環境にも慣れてきた日のこと。僕の業種は日々の仕事量にムラがあり、その日は朝からトラブルに追われて、お昼にありつけたのは夕方になってからだった。

 

自分の席でもぐもぐと遅い夕方を食べていると新人の頃から仲の良い同期がやってきた。

 

「なんで今頃弁当くいよるん?」

「だって食べんで持ち帰ったら母さんがかわいそうやん。」

「お前はほんと優しいな^_^」

 

自分としては当たり前のことをしてただけなので、やっぱし?俺優しくね?言わなくても伝わっちゃうかー?ってイキる感情は全くなかった。

 

それどころか、これくらいの事で僕のことを照れも無く優しいと評価してくれる友人もとい同期の方がよっぽど優しく感じたし、照れ性でなかなか人に優しいやねって思ったことを告げられない自分には友人もとい同期のことを羨ましく感じた、事をなんとなく思い出した。

 

多分、お互いの性格を察するに、当たり前の事で特別な事ではないのでずっと鮮明に覚えているものでもなく、なんかの弾みであぁそんなこともあったねー。と、思い出して笑うものの類なんだろう。

 

持って生まれた絵柄が違うし、今まで引いてきた絵柄も違う。そして手札を見るたびに湧き上がる感情も違うのだ。トランプのようなものだ。

 

優しいと人によく言われる人は、自分と他人の認識の差異に悩みがちだったりする。

けど、優しいと言ってくれる周りの人が優しいんだと思ってそんな優しい人に触れてる自分が幸せだと認識してトランプのように他人にある程度手番を委ねながら人生ゲームを楽しんでみると良い。

 

おわり。