あの日、せめてお人好しであろうとした僕らに
僕の話を見ても何ひとつとして得るものは無いけど、自分だけじゃないんだってほんのちょこっとだけホッとして貰えたなら。。。
僕の好きな小説、森見登美彦さんの恋文の技術で、失恋男子小学生を励ましたへっぽこ男子大学生守田くんの言葉の受け入れです。
さて本題。
大昔に好きだった人が自己啓発セミナーらしきものをfacebookで紹介していることに気づいたのは2週間くらい前の話だった。
「ホントウの自分に気づく!○○先生の言葉に感動しました。これからは周りの人全てに感謝しながら生きていきます!!」
半年ぶりくらいに何の気なしに覗いたFacebook。なんだこれは??安っぽいその子のセリフと共に紹介されてた40代くらいの女性のプロフには、ギャバン顔負けの宇宙なんたらという肩書きと、ふわふわした抽象的でかつ宇宙が全く関係の無い精神論が書かれていていた。
1に曼荼羅、2に曼荼羅、3、4が無くて5に曼荼羅。。。ありがたい先生の紹介のあとは曼荼羅色塗りを連日推すその子のページ。常時20~50を超えるいいね、すっげぇなぁ曼荼羅組織力。いいねが曼荼羅してる!曼荼羅ー!で、曼荼羅ってなんなんだろ?理解したくないものは脳が受け付けない。僕は何一つ理解出来ないまま、その日はスマホをテーブルの上に置いた。曼荼羅ー!
詐欺の食い物にされなければよいが。。。気になってはいたものの、口を挟む義理も義務も未練もないし、そもそも言っても聞き入れてくれるだけの信頼関係なんぞないし、できることは何もなし。大切にしたい自分の周りに振りかからなければそれでいいや。許しておくれ曼荼羅。許された!
すっかり心から曼荼羅が消えて迎えた師走。みんなどうしてっかなー?忙しくしてっかなーと覗いたFacebookには、ナナメ45度で海をバックに映る色男風フツメンと「フツメンのおかげでホントウの自分に気づきました!ありがとうございます!これからは周りの人全てに感謝しながら生きていきます!!」と曼荼羅してるその子のありがたい言葉が映し出されていた。見つけたホントウの自分とやらは2週間で見失えるもんなの??曼荼羅ー!
世はインターネッツ全盛期。擦れば出てくるフツメンのセミナーコース。半年間複数回受講でコミコミうん10万。わ〜すごい。こんなけ払って複数回受けてもホントウの自分とやらは毎回分かった気になれるだけってことなんだねー!曼荼羅マンモスー!
相変わらず20~50はつく曼荼羅してるいいねの数々。わー組織ってホントすごい。こんなけいいねはつくのに、ランチでも食べながらちょっと心の整理に付き合ってもらう友人はおらんもんか?ちょっとそれは。。。
、、、彼女の不幸を餌に僕は自分を満たしたいだけではなかろうか??これ以上見ても何も得るものはないただ悲しいだけなんだろうなっと思い心の自衛のためにその日僕はFacebookを退会した。
そして、そう言えばぼくが関東で働いていた20代の頃、マルチ商法にハマっていた級友がおったなーと思い出していた。
⚫昔に戻る
彼は声優になりたいという夢を持っていて、学校を中退後、上京、某大手の声優学校に入学していた。
級友とは言っても彼とは学科も違ったし、特別仲のいい友人という訳ではなかった。仲のいい友人が共通してたこと、またお互いにカラオケが好きだと言うこともあり、テスト明けのカラオケルームに遊びに行った際、隣の部屋を覗いたら知ってる顔がいる!じゃぁ、合流!そんなノリで遊ぶ、その程度の仲だった。
知り合いに産毛が生えた程度の仲ということもあり、彼が中退したと気づいたのは、彼が声優学校に入学しその後人知れず失踪したというよくありがちな話を聞いてからだった。呆れれつつも心配しながら話す友人Aの顔を今でも思い出す。友人Aは産毛な僕とは違い、彼と剛毛な友人関係だった。
時は流れ僕が上京して働きだし2年か3年が経ったころだろうか?仕事の不平不満を言い合いつつもまぁなんだかんだで元気にやっとるよってゲラゲラ笑い合うだけの飲み会を僕ら上京組はやっていた。失踪した彼がひょっこり現れたのはそんなゲラるだけの飲み会の場だった。
失踪した彼を責めるでも虐めるでもなく、なんなーん?心配かけてー!バッカじゃないと?ーって笑い話に変え出した僕らに彼はじぶんの身の上話を展開した。マルチ商法に入会し、声優学校は退学。あー。厳しいノルマにヒィヒィ言ってる毎日だけど頑張れば上に行けると言われてる。やりがいを感じるよ!と目を輝かせてる彼を見て僕らは何も言えずにいた。年相応の最低限な道徳しかその場に持ち合わせてなかった僕らにはそれでも彼は何とか元気に生きている ただその現実を受け止めることしか出来なかったのだ。
その後、彼とは飲み会の場でのみ会っていた。学生時代にも特別仲が良いわけでもなかったので、こちらから連絡を取るわけでもないし、彼自体からも連絡はなかった
そんな産毛な関係が再開し2年か3年が経った頃だろうか?初めて彼の方から僕の元へとメールが届いた。
「1万貸してくれないか?」
僕自身、借金が嫌いでな人で内心えー、これ人間関係崩れる元やん!と思うものの、断っても食らいついて来られるのが目に見えてるし面倒だし、返ってこないなら来ないで、1万で手切れ金になるならそれはそれで安いかもしれないと思い、彼に貸すことになった。彼と1対1で会う唯一のシーンだったことは言うまでもない。
彼のいない飲み会で彼の金銭面のだらし無さを察することになる。友人Aは、彼と学生時代から仲の良かったこともあり既に桁が違う金額を貸しているとの事だった。友人Aは口は悪いけど飲み会前のパチンコで勝った日は僕らよりも多めに出してくれるような気持ちの良い人だった。
友人A「えっあいつ、アザゼルからも借りたん??」
僕「貸したと言うても1万なんやけどね。返ってくるとは思ってもないし期待してないけど。」
友人A「そっか。。。ふーん。」
貸した分だけじゃないだろうな。お前のことやけ、他の融資もしてるんやろ?と友人Aに本当は尋ねたかった。僕にまで金の無心をしていることを知って明らかにトーンが低くなった彼の声を聞いて僕はあえて聞かないことにした。
程なくして彼は再度失踪し僕らの前から姿を消してしまった。
失踪後も定期的に続いた飲み会で、彼、何してるんだろうね?ってお人好しな僕らは彼の心配を肴に酒を飲んでいた。
僕ら友人Aを含む仲良しグループはタイミングが合えば帰省時も近況報告会をやっていた。彼が2度目の失踪をしてから1年経った頃だろうか?帰省前の飲み会であの人は今?のノリで試しに彼に電話してみよーぜってなった。無理やろーと言いながら掛けた電話にリアクションがあり僕らは久々に彼とのコンタクトをとることになった。
なんしよーと?僕らは相変わらずだった。呑気なお人好したちであることを続けた。
彼「色々あったけど地元に戻った。みんなには悪いと思っている。」
なーん?そんなん気にしとると?いいけ、ウチら今度帰省するから久しぶりに会おうぜ。
無言の満場一致。呑気なお人好したちから始まった会話は呑気なお人好しのままで終わった。終わらせることにしたのだ。
帰郷後の呑み会の場に約束通り彼は現れた。
そして大方の予想に反して彼は借りた金をみんなに返したのだ。申し訳ないという一言を添えて。
やっぱり僕らはお人好したちだった。良いよ無事でいればと言い、彼がその後、どのように過ごしたのか?を聞くことにした。そして聞き出してすぐ彼の話がどこまでが本当でどこからか嘘なのか?検討のつかないものであることに気づいた。
彼の話によると、マルチ商法で食い物にされて生活が完全に成り立たなくなり、マルチを脱退し逃げるように実家のある故郷へと戻ったのだという。
・・・あーなるほどね。帰るところがあって良かった良かったねー。
「実家に戻ると母親は再婚してたよ。再婚相手は火葬場の経営者、朝早くて大変だが今はそこで働かせてもらっているよ。」
・・・えーそうなん。いいタイミングで戻れてよかったね。
「火葬場って儲かるんやね。再婚相手のおとうさん年収1000万だもん。認められたら後継者になれる。こんな逆転人生あるんやね。」
・・・ふーん。凄いね。で、この場でその視点での報告いる??
「火葬場やべーよ。殺人事件起きても燃やせばバレんと思うもん。」
・、ブン!
おそらく嘘。嘘嘘嘘、思いやりの欠けらも無いただ取り繕うためだけの嘘。嘘が膨らみ膨らみ膨らみ続けて、冗談にしては物騒すぎる切り口になった頃、テキトーに相づちをうっていた友人Aはお人好しでいることにサヨナラを告げ、彼を力任せにぶん殴った。
こればかりはね。こうこられたら止める気にもならないよ。他の友人達も止めもしないし何も言わなかった。僕らはお人好しでいることにギブアップしたのだった。敗戦処理。彼は実質僕らの中で死んだのだ。
敗戦処理のはずなのに友人Aはスッキリした顔をしていた。多分初めから1発で手打ちにすると決め打ちしてたんではなかろうか?周りの僕らに気を使って。
じゃあ帰ろうか、また今度な。あっさりと僕らは敗戦処理のマウンドを去ることにした。
こいつ(友人A)、体力仕事をしてるから、もしかしたら彼、骨が折れてるかもしれんなー。まぁ転んだと嘘ついて実在するかわからん義理のお父さんに医療費は出して貰えるだろうしまぁいいか。
そんな薄情の極みみたいな事を思いつつ僕は毛布にくるまりその日は眠りについた。
その後、彼がどうなったか?僕らは誰一人として知らないし、口にするものもいない。負けた話なんて誰もしたくないからね。
■今
火葬場なんて限られてるんで擦ればいくらでもあの日の彼の話が嘘が本当かなのかはっきりとするとは思うけど、思い出した今も調べる気にはならない。彼を死体蹴りする気もないし、そもそも調べれば1番傷つくことになるのは僕自身だ。何が嬉しくて自分に死体蹴りをしなくてはならないのだ。
今回のあの子の話もきっと彼と同じ話なのだろう。中途半端なお人好しは、自分の大切なものまで傷つけるとこになる。
人の悩みを聞いてるお坊さんたちだって常に悩みを解決出来てる訳では無い。そんな言い訳を言い聞かせながら、ぼくは今日も一日仕事に励む。
おしまい。
■
どうして、ゼルさんはそんなにプロ野球のことが好きなの?って聞かれたことがあったような気がしたことを、ふと思い出したんで、思い出せる限りで書いておこう。
僕は早生まれで周りの子にくらべたほやっつとしてたので、記憶があいまいな部分もあるし、年がたつにつれて都合がいいように置き換わったものがあるかもしれないけど、まぁ正確かどうかは目をつぶろうと思う。誰の人生にも影響しないことなんだから。
〇小さい頃は埼玉県の入間市で過ごしてたんだ。
生まれも育ちも今住んでいる福岡県の地方都市なんですけどね、子供の頃に、親の仕事の都合で7年だか埼玉県入間市に住んでたのですね。埼玉県民のユートピア・池袋へ電車で40分だかの地方民から見たら便利なセミ都会エリアって思うじゃん??実際のとこは、言うほど都会でも無くて、川に大根流れてたし、近所の豚小屋はくっさいし、電車に乗って隣町までいかないと歯医者ないしって感じで、地方の都市部のほうがまぁ栄えてるところです。娯楽は少なかったように思います。(当時の話だよ!今は文明開化の音がしてるはず!disってるもんか!
んで僕の子供の頃ってちょうど西武ライオンズの黄金期なわけで当たり前のように勝つわ、スター選手は多いわで、まぁ今のホークスのような感じだったんですよ。そんなチームが電車ですいーて行ける距離にあるわけです。ほかに娯楽もないので、話題はライオンズが中心となります。
〇プロ選手は運動できない子たちのあこがれの的!
僕自身は、3月下旬が誕生日、超早生まれな分、ほかの子供たちに比べて背が小さく運動音痴だったわけです。下手したら丸丸1年年上のお兄ちゃんたちと競わないかんからなー。かけっこでびりじゃなかったことってあったのかな?いやー。えぐいえぐい。
そんな運動できない子が、一流アスリートであるライオンズ選手を見てあこがれないわけがないのです。
ライオンズの選手の中でも、ぼくはHR打った時にホームベースでバック宙を決める秋山選手の大ファンでした。
かっこいいだろー。
運動音痴で、バック宙はおろか、鉄棒の逆上がりもなんか怪しいレベルだったからな。。。小さい頃は。。。
〇数少ない親父殿ふれあいタイムだった!
父親が子供との接し方がへったクソであんまり遊んでもらえなかったんですけど、趣味が草野球でして、たまーに球場に連れて行ってもらえてたことも、プロ野球が好きになった原因かもしれません。遊園地に連れて行ってもらう約束をしていたのに、早朝の草野球でビールを飲んでそのまま飲みに行って約束を平気ですっぽかすこともざらにあった親父ですけど(昔の人ってホント豪快よね)、球場に連れて行ってもらってたりもするんで、趣味の草野球まで憎んだことはない、はず。たぶんね。
野球中継が始まると親父にTVの主導権は握られてたけど、野球に恨みがないはず。たぶんね。あれ?
〇会いに行けるスーパーヒーロー達だった!
テレビだと放送されにくいところだと、ライオンズは試合に勝った後だと、最後選手とハイタッチをできるチャンスがあったのですよ。
内野指定席じゃないと確かハイタッチできなかったと思うので、僕はハイタッチした回数は1回くらいだったかと思います。外野自由席の方が安いからね。お察し。
と一言でいうと、当時の僕には身近に感じられるスーパーヒーロー達だったのですよ。
どっかのご当地アイドルみたいですね。
あと子供の頃にあこがれたのって宇宙刑事くらいだからなー。強い奴ほど笑顔は優しい。やっべとしがばれちゃう!今更!
〇転勤して地元に帰った!
親の転勤で埼玉を離れ、生まれた福岡県の地方都市に戻ってきて1,2年ほどでライオンズの黄金期は終わり、スーパーヒーローたちはほかの球団へと去っていき、守りは強いけど打てないホワイトにゃんこ打線と揶揄されたりと、小さなころの常勝軍だといわれたライオンズからは少しずつ形は変わっていったんですよ。
球団だけでなく、僕の環境も変わったわけで、周りの友達は地元のホークスファンばっか。中学は若干あれている地区だったということもあり、なんとなく察してライオンズファンだと公言せず、隠れキリシタンのように一人でペナントレースを楽しんでた気がします。
高校は、まぁ理解ある友達に恵まれたこともあり、ライオンズファンだと思いっきり公言してましたね。この時期には僕の応援スタイルは、他の球団の悪口は言わない、いいところはほかの球団の人たちと一緒に褒めあうって今とほぼ一緒のスタイルが確立していたかかもしれませんね。地元なんだからホークスへと改宗せよと勧誘活動をうけてましたがw
〇中学時代にライオンズ愛を貫けたのがほんと謎!
私もかつては、他の子たちと同様にプロ野球選手にあこがれてなりたいなーって思ってた時期があったのですよ。一応野球部には入ってました。ました。
んが当時蓄膿症でしてね、週2,3回学校帰りに耳鼻科行かないといけないし、練習に参加できる量がほかの子たちと比べて、少ないわけです。中学はいる頃には成長期を迎えて背はほかのこと達とそん色ないくらいには伸びたのですが、まぁ小さい頃に運動音痴だと思ってた子ですもん、安心してください運動音痴なままです。
下手くそは人一倍練習しないと他の子に追いつけませんが、何しろ病院通いの分練習量が少ない、追いつけるわけがない。当時の運動部って超体育会系なんで、練習に参加できないで肩身が狭い、結果1年の夏休みが終わってすぐに限界を迎えてやめちゃいました。ぐうの音も出ない挫折ですね。まぁ今考えると休みづらい運動部に入ることが無謀な話だった気もしますが、まぁ早い時期に人間無理なもんは無理と悟ったのは大きかったかなーって思います。
ん?あれ?よく中学の時にライオンズ愛を投げださなかったなーって、自分でも不思議でなりません。中学の頃は、ライオンズ愛は控えめで、高校で理解ある友人に出会えて再燃したのかもしれませんね。実際のところはよくわからない。。。
どんなに好きなことでもモチベーションの波があるのは当たり前かなって思うんで、中学の頃はライオンズ愛が控えめだったってのが合ってそうな気はしますね。
〇つまり、、、
自分のことを全部理解してるわけないよねー。ですよねー。まぁ今も昔も変わったり変わらなかったりして楽しいんでるからいいか!
中秋の名月
観点のロンダリング
TLを見てて自分と他人との認識の差異に悩んでる人を見かけたのでちょっと書いておく。
以前から希望を出してた地元への転勤が叶い、実家へ戻った頃、母親は昼の弁当を持たせてくれた。いいよ。途中で買ってくからと告げたものの大した手間じゃない。それくらい作ると言ってくれたので、好意を無碍にするのも親不孝だと思い、素直に受け入れることにした。朝起きる時間が少し早くなるのだから、それくらいではないはずだけど。ありがたい事だ。
新しい職場環境にも慣れてきた日のこと。僕の業種は日々の仕事量にムラがあり、その日は朝からトラブルに追われて、お昼にありつけたのは夕方になってからだった。
自分の席でもぐもぐと遅い夕方を食べていると新人の頃から仲の良い同期がやってきた。
「なんで今頃弁当くいよるん?」
「だって食べんで持ち帰ったら母さんがかわいそうやん。」
「お前はほんと優しいな^_^」
自分としては当たり前のことをしてただけなので、やっぱし?俺優しくね?言わなくても伝わっちゃうかー?ってイキる感情は全くなかった。
それどころか、これくらいの事で僕のことを照れも無く優しいと評価してくれる友人もとい同期の方がよっぽど優しく感じたし、照れ性でなかなか人に優しいやねって思ったことを告げられない自分には友人もとい同期のことを羨ましく感じた、事をなんとなく思い出した。
多分、お互いの性格を察するに、当たり前の事で特別な事ではないのでずっと鮮明に覚えているものでもなく、なんかの弾みであぁそんなこともあったねー。と、思い出して笑うものの類なんだろう。
持って生まれた絵柄が違うし、今まで引いてきた絵柄も違う。そして手札を見るたびに湧き上がる感情も違うのだ。トランプのようなものだ。
優しいと人によく言われる人は、自分と他人の認識の差異に悩みがちだったりする。
けど、優しいと言ってくれる周りの人が優しいんだと思ってそんな優しい人に触れてる自分が幸せだと認識してトランプのように他人にある程度手番を委ねながら人生ゲームを楽しんでみると良い。
おわり。
身内に不幸が起こりそうでして
僕の話に得るものはなく。ただ似たような状況に出来わして同じような悩みを抱えた人が、まぁそんなもんだよねって少しだけ心が軽くなればいいな、ってその程度の話。
両親から親戚に不幸が起こりそうだという話を聞きました。母の弟の奥様。血は繋がっていないが私の叔母にあたる人でして。叔母は元々がんを患っており、発覚時から三年の余命を告げられていた身でした。なので流行りの感染症ではありません。けど、今のご時世的、大きな病院は家族であれ面会を拒否されているところが多いとか。叔父さん家族は病院から呼び出されてもって今月末だと告げられた、とのことでした。その状況ゆえ、月を股越し叔母の命は持たせることが困難であることは、また聞きである自分にも想像できたました。
叔母さんが入院している地域は私の住んでる地域からはJR・私鉄を乗り継いでてこてこいっても2時間もかからない距離です。本来なら叔父さんに見舞いに行っていいか?伺いを立てるところなんですけど、当然、その選択肢ははなからありませんでした。叔父さんは母へ葬儀自体も行ず、即火葬場に行くことになるだろうと告げてました。ご時世的な話、誰が悪いわけでも無いんだけど、おそらく最後は骨壺と対面することになるであろう叔父を思うと不憫でなりません。葬儀や法事というものはしきたりというよりは、残された遺族の心を整理するために必要な時間だと思うのです。人間というものは言うほど割り切れて生きてはいけないと感じるもん。
母が私の父に電話変わるね?って叔父さんに尋ねたところ、「兄さんと話すと泣いてしまうからやめとく」と告げたあたり、叔父さんも覚悟はとっくに決めているけど、それでも割り切れないのですね。こんなもんどうもこうもしようもないよ、割りきれないもんは割り切れないもん。
自分が叔父さんに何かできることはあるんだろうか?少し考えてみたものの叔父さんへ直接できることは何一つもないんですよね。叔父さんには姉(=私の母)がいるし、娘がいる。役目が違うのだ。自分の役目は叔父さんと直接関わることになる両親の相談なりちょっとしたサポートですもんね。人間やれることなんで限られている。不幸ごとにおいてたいていの人は、ちょっとしたことが少しずつしかできないのだ。自分が手の届く範囲を無理なく支援することが叔父さんの助けになると、自分の周りを信頼するしかないのだ。無力感はどうしてもつきまとっちゃうけどね。
ここまでが昨日の夜の話。自分自身は叔母や看取る叔父のことを不憫に思いつつも そんなにショックをうけていないように思ってました。人の死の話って実感わきにくいからね。心のどこかで拒否ってしまうからなのもあるんだろうけど。
それなのに昨晩は寝つきが悪いこともあり、だらだらと夜更かしをしてた。なぜだろう?
ボーと考えて思い当たる節が一つ、叔母さんの話をする母の頭に異常に白髪が増えて髪が薄くなっていたのを目撃しておりショックだったのです。男は大体マザコンだという話をよく耳にします。叔母の死の話をする中で母の老いにショックを受けた自分もきっとマザコンなのでしょう。老いにショックを受けている自分が、自分の両親に余命が宣告されたとき、自分に覚悟決めて行動できるのか?って不安に思ってしまったのです。
こうなると、自分はいったい何にショックを受けているのだろう?ほんとに叔父叔母を想い悲しんでるんだろうか? 自分の身近な存在をただ心配してるんだろうか?と、自問自答を行うわけです。10代20代のころであれば、こんなことを考える自分は冷たい人間じゃないか?って自己嫌悪に陥ってたりもしてました。自分はもっとできるって心の中に根拠のない全能感があったからだ。もっとできるのになんでできないんだ!?みたいな。見当違いの思い込みなんですけどね。今となっては謎だ。あの感覚は。
30代にもなれば良くも悪くも今の自分に出来ること・思考パターンってのが分かってしまっているので、身近な存在に憂いを感じる自分をとりあえず受け入れてしまうわけです。
受け入れる=頭では理解できているんだけど、割り切れずに考え込む=心が頭と剥離して整理が追い付かずに考えが発散してしまう自分の性分も社会生活する上でしゃーない税金みたいなもんだと、ある程度受け入れつつ今ボンヤリしているわけです。
しかし、心と頭が剥離しちゃう状態はなんなんでしょうね?心がちゃんと機能しきれてないような気もしますが時間が解決してくれる問題ではあるので、むしろ心が必死にその落ち着くまでの時間を必死に稼いでくれているような気がします。
そんなもんだよね。って考えることくらいしか、僕にはできないかもしれないって思いながら今宵もふけていく。
おしまい。
僕のオンゲーはドラクエ10で育ったって話
ドラクエ10でオンラインゲームに初めて触れてから数年の時が流れました。その中で自分の失敗談的なもんを書いとこうと思う。
〇すんません、初めてのフレをBLにいれた経験ありです。
ゲーム始めて早々、初めてフレになった大学生キッズ♂の「今度、いつインするの??」って手紙爆撃に萎えてはじめて二週間もたたないうちにBL機能を使いこなしたこともあった。
うんざりしてログアウトでインしたら書置きに「ログアウト??」と書いてくる彼の圧が、オンラインゲームに不慣れだった僕には無理だったから。
悪い言い方をすれば、、、オンラインゲームに慣れた今は彼のような人のあしらい方が分かった。ような気がする。
「初めたばっかなんだ。一人でじっくりと遊びたい時期なんだ。」って変に遠慮せず本音で伝えればいいだけのこと。言い方だけの話。
彼は効率が悪いって言ってきそうだけど。「価値観が違うんだね、プレイスタイルも進行度も似た人を他に探したほうがいいよ。僕は君のサブじゃないんだ。効率プレイをしたいならサブでやってください。」って伝えるはめになり結局BLにいれるのと同じくらい彼を傷つけてたかもしんないけど。
〇闇落ちで戻り組です、はい。
一旦は運営陣の方針に腹を立ててゲームを去った時もあった。座談会の頃だったかな?アストルティアの最大の魅力は多様性であり、ごく一部のプレーヤーの意見だけを聞くなんて間違ってると腹を立てたからだ。俺の中のアストルティア像って奴が出来てしまっていたのだ。僕は腹を立てた結果、アストルティアから去っていった。
アストルティアを去った後はドラクエ10にハマってた間に発売されたゲームをしていた。ゼルダ、ブラボ、マリオetc。いずれも良作だった。ゲームをするのが楽しかった。
足が遠のいてたライブにも行った。TMR、HIATUS、ピロウズ、バックホーン、、、熊本だかでやってたフェスにも遠征した。20代の頃に感じたライブの楽しさがまだあった。音が振動となり心臓を揺さぶられている感覚を30代になっても変わらず味わえる事に感動した。
趣味に没頭する時間が楽しかった。
ふとした時にドラクエ10情報をのぞいていた。Twitterネームはドラテンベースだけど、以前からドラテン垢ではなく趣味やうんこみたいな哲学をぼやくアカウントとして存在していたので(リアルの僕とそう変わらない存在だ。恥ずかしい)、ドラテンフォローはそのままにしており、ドラテンの情報は自然と僕の目に流れてきていた。ドワチャッカ過去編だったろうか?ストーリーに関してのネタバレなしの感想を見たのである。ツイートの主は哀しんでいた。ストーリーの出来を批判するのではなく哀しんでいた。
興味が湧いた。というよりは、v4を購入した動機を思い出した。ストーリーを本気で味わってる人たちの感情に触れて、自分もお人好しなエテーネ兄弟の行き着く先を見届けたいって感情の赴くままにV4は買ったのだ。火がついたらすぐに復帰してた。フレさん達は僕に嫌味を言う事もなく、おかえりwって笑ってくれた。必要以上に過保護になることもなく。ありがたかった。
インした後、離れることで自分の毒素が抜け切っていることを感じた。座談会の頃に作り上げていた俺のアストルティアって奴は無くなってた。不思議なもんで去る前は時間が許す限りインしてたのが週2、3日のログインでもゲームを楽しんでる自分がいることに気づいた。
こだわりを貫き通す事が目的じゃない。ゲームを楽しむ事が目的なんだって当たり前のことを思い出してたのだ。
今は、本来運営陣が抱えるジレンマをプレーヤーサイドまで共有する必要はないと感じるので、1本線を引いて健全にプレイし続けるんだろうなーって手ごたえを感じている。
精神衛生上よろしくないこともあったけど、なんだかんだでドラテンで知り合った人は、長ーく遊ばせていただいていることもあり、今となってはドラクエ10を始めてみてよかったなって感じております。
これが俺のアストルティア
僕が見たアストルティア
日曜日、DBDを一緒にやってたかつてのドラクエ10プレイヤーから、今のアストルティアがどんな感じか、僕の思い出アルバムからたどってみよう。
君よりも一回りくらい歳上の良い歳こいたオジサンたちが、それなりにエンジョイしてる模様。
残念、君は聞く相手を間違えたんだ。。。ただ、ただ、それだけのことさ。
つまるところ、君がいたころと変わってないのさ。ゲームに飽きたなぁって人には物足りないままだし、ゲームが楽しいなぁって感じてる人には楽しいままだし。君は物足りなさを感じて去った人だからきっと物足りないままさ。
聞く人の心境、聞く相手の心境で感じるもの、伝えるものって変わるのさ。
不満で去る人もいれば残る人もいるからね。こうなればいいのにって想いは期待でもあるからね。逆にゲームに満足して続ける人もいれば満足して去っていく人もいるからね。目標の達成、そのバージョンにおけるメインストーリーの完結、終わらないドラゴンクエストは終わらせることもできるよ。アストルティアにいる時間が長くなれば他のことができないからね。
規模がでかいゲームだから実際のところはよく分からないよ。誰も分からないよ。1から10までみんな言うわけないもん。まとめサイトに載ってるようなことを読んで分かった気になってるだけさ。そんなもんだよ。そんなもんでいいんだよ。ゲームは手段さ。目的ではないよ。余暇を楽しむのが大体の人の目的だと思うからね。
ただ思うのはアストルティアは懐が深い。気がするよ。ガチにでもゆるくても、毎日インしてもたまにインしても文句言われる気がしてないからね。